2010年 04月 19日
無事完走! |
結果は4時間47分4秒。
今回は非常に練習不足だったうえに、レースが始まるまでは体も重く、どうなることかと心配していましたが、いざスタートすると、思っていた以上に走れたのは意外でした。練習をやってもやらなくてもたいして記録に違いがないというのは何だか複雑ですが。
理由を考えると
① 練習不足の分節制につとめたのが良かった。
② フルマラソンの全体のペース配分の組み立てがようやく出来るようになった。
③ レース前の数日間はカーボローディングをしっかりやったし、レース中もパワーゼリーを携帯して、後半5kmごとにしっかり栄養補給していたために、以前のように30km以降もそれほどメタメタにならなくてすんだ。
③ 加圧がきいたのか、脚に筋肉がついて、わりあい強い走りを持続できた。
⑤ 天候が薄曇りで気温も低く、直射日光による消耗がなかった。
そんな感じでしょうか。
記録はともかく、最後まで一歩も歩かず完走するという目標は無事果たせましたので、今回は、(練習していない割には)満足感はあります。
でも30kmのプラター公園を走っている時などは、このくらいだったら4時間半を切れるのではないか?と思いましたが、さすがにマラソンはそこまで甘くなく、35km以降は、やっぱりいつもの苦痛の道になってしまいましたので、そこは残念でした。
35km以降は、何度走っても地獄の道です。必死で走ろうと思うのですが、体中が苦痛でうめき声を上げて一歩前に脚を出すのが、とんでもない大事業になってしまいます。
よく見る夢に、誰かから追いかけられて、必死で逃げようとするのですが、走れと脳が命令するのに、脚が全く動かない、あの感じによく似ています。
私くらいのレベルだと、このあたりでは、結構歩いてる人も多いです。しかし、走ってるのに、その前を歩いてる人を抜かせない。
1kmごとのとてつもない長さ。
走っても歩いても同じなら歩いてもいいのではないかと考えるのですが、私の場合レースとはいっても自分の心とのレースで、あくまでも自己満足のためのマラソンですから、自分の中の決めたことを反古にしてしまったら、それは結果如何に関わらず失敗ということになります。
なので、とにかく歩かない、何が何でも腕をふって走るということにつとめます。脚はまったく止まっているのに、まるで水で溺れているように必死であわあわと腕を振る姿は、外から見たらいかにも滑稽な姿かもしれません。
37kmあたりからリンクに戻ると、歩道の応援が大きくなりますし、ゴールが見えてきますので、すこしづつ気持ちも楽になります。しかし、もう体中の力は完全につきていましたので、歩道の応援に応えることも出来ません。本当なら投げキッスでも返したいところですが、そんな余裕はありません。鬼の形相で、目を前に向け、年老いたロバのようにのろのろとひたすら走るだけ。
王宮に戻り、ゴール。
終わった。という放心状態の中、その場に立ち尽くします。例によって、やることはやった、でも、例によって、情けないレースだったなあ、と。
すると後ろからとんとんと肩を叩かれました。見ず知らずの地元の青年、手を伸ばし握手を求められました。何も言わず固く握手、それで別れたのですが、今のはなんだったんだろう。
彼は私の背中をずっと見ながら走ってきた青年なのでしょう。最後の数キロメートル、歩いてるよりも遅いようなスピードで走る私の背中を追いながら、彼もやはり同じように苦痛と戦いながら必死に走っていたのかもしれません。
「遅いけど、あんた、最後まで走っていただろう、後ろからずっと見てたよ。」
という意味の握手なのかと思いました。
「お互いよくやったよ、おめでとう」
自己満足の趣味のためのレースが、自己満足を超えて、何か凄い価値を持ったものになったように感じました。
歩かなくて、本当に良かった。
今回は非常に練習不足だったうえに、レースが始まるまでは体も重く、どうなることかと心配していましたが、いざスタートすると、思っていた以上に走れたのは意外でした。練習をやってもやらなくてもたいして記録に違いがないというのは何だか複雑ですが。
理由を考えると
① 練習不足の分節制につとめたのが良かった。
② フルマラソンの全体のペース配分の組み立てがようやく出来るようになった。
③ レース前の数日間はカーボローディングをしっかりやったし、レース中もパワーゼリーを携帯して、後半5kmごとにしっかり栄養補給していたために、以前のように30km以降もそれほどメタメタにならなくてすんだ。
③ 加圧がきいたのか、脚に筋肉がついて、わりあい強い走りを持続できた。
⑤ 天候が薄曇りで気温も低く、直射日光による消耗がなかった。
そんな感じでしょうか。
記録はともかく、最後まで一歩も歩かず完走するという目標は無事果たせましたので、今回は、(練習していない割には)満足感はあります。
でも30kmのプラター公園を走っている時などは、このくらいだったら4時間半を切れるのではないか?と思いましたが、さすがにマラソンはそこまで甘くなく、35km以降は、やっぱりいつもの苦痛の道になってしまいましたので、そこは残念でした。
35km以降は、何度走っても地獄の道です。必死で走ろうと思うのですが、体中が苦痛でうめき声を上げて一歩前に脚を出すのが、とんでもない大事業になってしまいます。
よく見る夢に、誰かから追いかけられて、必死で逃げようとするのですが、走れと脳が命令するのに、脚が全く動かない、あの感じによく似ています。
私くらいのレベルだと、このあたりでは、結構歩いてる人も多いです。しかし、走ってるのに、その前を歩いてる人を抜かせない。
1kmごとのとてつもない長さ。
走っても歩いても同じなら歩いてもいいのではないかと考えるのですが、私の場合レースとはいっても自分の心とのレースで、あくまでも自己満足のためのマラソンですから、自分の中の決めたことを反古にしてしまったら、それは結果如何に関わらず失敗ということになります。
なので、とにかく歩かない、何が何でも腕をふって走るということにつとめます。脚はまったく止まっているのに、まるで水で溺れているように必死であわあわと腕を振る姿は、外から見たらいかにも滑稽な姿かもしれません。
37kmあたりからリンクに戻ると、歩道の応援が大きくなりますし、ゴールが見えてきますので、すこしづつ気持ちも楽になります。しかし、もう体中の力は完全につきていましたので、歩道の応援に応えることも出来ません。本当なら投げキッスでも返したいところですが、そんな余裕はありません。鬼の形相で、目を前に向け、年老いたロバのようにのろのろとひたすら走るだけ。
王宮に戻り、ゴール。
終わった。という放心状態の中、その場に立ち尽くします。例によって、やることはやった、でも、例によって、情けないレースだったなあ、と。
すると後ろからとんとんと肩を叩かれました。見ず知らずの地元の青年、手を伸ばし握手を求められました。何も言わず固く握手、それで別れたのですが、今のはなんだったんだろう。
彼は私の背中をずっと見ながら走ってきた青年なのでしょう。最後の数キロメートル、歩いてるよりも遅いようなスピードで走る私の背中を追いながら、彼もやはり同じように苦痛と戦いながら必死に走っていたのかもしれません。
「遅いけど、あんた、最後まで走っていただろう、後ろからずっと見てたよ。」
という意味の握手なのかと思いました。
「お互いよくやったよ、おめでとう」
自己満足の趣味のためのレースが、自己満足を超えて、何か凄い価値を持ったものになったように感じました。
歩かなくて、本当に良かった。
by shinichirowien
| 2010-04-19 14:51
| ウィーン日記