ご報告が遅くなりました。
以下の記事は、マラソンの翌日に書いたものですが、アップが遅れました。
帰国してからなぜかバタバタと忙しく、ブログに手を付けている時間がありませんでした。
写真などは整理ができしだい順次アップして行きたいと思います。
◯ニューヨーク・シティ・マラソンに合わせてというわけでもないのでしょうが、前日の土曜日にNYは冬時間に変わりました。
腕時計を1時間進めましたが、ホテルの部屋の時計は、相変わらず夏時間のままです。
ニューヨークは暖かく、持って来たダウンジャケットは出番がありません。
そのマラソンですが、結果は予想されたものですがぼろぼろで、5時間ちょうどという情けない記録でしたが、(今オフィシャルサイトで確認しました。)
でも楽しかったです。
最後まで歩かずに走れましたし。
こんなに楽しかったレースも初めてです。
NYCMは橋で繋がっているスタッテン、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクス、マンハッタンの5つの区を回るコースです。
最初のスタート地点、スタッテンから、ベラザノ・ナロー橋をランナー達が渡るのですが、その時に流れる曲は、フランク・シナトラの「ニューヨーク・ ニューヨーク」
この曲の大合唱になります。
These little town blues
and melting away
I'm gonna make a brand new start
in old new york
And if I can make it there, I'm gonna make it anywhere
It's up to you new york new york
ちっちゃな街のブルースなんて
全部溶けてなくなってしまう
おれはこの街で新しいスタートを切るのさ
このオールド・ニュー・ヨークで
ここでそれが出来るなら、どこに行っても出来るはず
それは、すべて君次第なのさ、ニューヨーク、ニューヨーク!
この、"It's up to you, new york new york"
と、いうところをニューヨークっ子たちが、大合唱するところで、 脳みそから一気にアドレナリンが出て、肌がざざーっと総毛立ちました。
ウィーン・マラソンの「美しき青きドナウ」もよかったですが、NYのフランク・シナトラは感動しました。
走り始めると、驚いたのは、その応援のすごいこと。
各地域事にそれぞれ住んでいる人種も違い、特色があるのですが、応援がただ事ではない。
みんな一生懸命、一体となって応援しています。
ニューヨークは、移民の国アメリカの象徴で、英語を喋れないような人たちもいっぱい住んでいます。
その人たちが年寄りから子供まで、皆沿道に出て、世界中から集まって来たランナーに声援を送っている。
根無し草たちが形成するパトリオティズムがあるのでしょうか。
友部正人さんにお会いした時もおっしゃっていましたが、ニューヨーク・シティ・マラソンは特別な街の特別な大会です。
沿道の女の子たちが、私を見て「キムラ!」「キムラ!」と叫んでいるので、
「ありがたいけど、何で私の名前を知っているのか?」
と、頭をひねりました。
しかし、途中で気づきました。
「キムラ」ではなく
"Keep It Up!"
と叫んでいたのでした。
ランナーたちも愉快な人たちばかりです。
アメリカのランナーたちは、Tシャツの背中にマジックでいろいろなメッセージを書くのが流行っています。
それは、社会的なメッセージもあるのですが、
「Love mom, I run for you」とか、そういう素朴なのが多い
です。
子供の写真を背中にプリントしている人もいました。
I'm Your Dad
と書いて。
こういうのもあった
"Cathaline, I run to beat cancer"
「キャサリン、おれは(君の)ガンをやっつける為に走る」
奥さんがガンなのでしょうか、背中を見ながら走っていたら、思わず「うるっ」と来ました。
それぞれの人に、それぞれの人生が、あるのだなあと。
私はマラソンを走っていると、いつも思うのです。
いったいこんな苦しいことを誰に頼まれてやっているのかと。
30km地点を過ぎて、マンハッタン島に入ると、沿道で、こんなメッセージをかかげている人を見ました。
「pain is temporary, pride is forever」
その苦痛を何に例えられるか。
ツール・ド・モンブランに出場した、プロ・アスリートの鏑木さんが、
「剣山の上を血まみれになって裸足で走っている状態に近い」
と答えていました。
そして、いつも、いつも、走っている間中ずっと、リタイアの理由を考えていると。
比較するのは申し訳ないですが、私などもフル・マラソンに出場し、35km地点あたりを過ぎると、いつもこうなります。
「剣山の上を血まみれになって裸足で走っている状態に近い」
大げさに思えるかもしれませんが、そういう感覚。
体中が悲鳴を上げて軋み始めるのです。
練習が足りないと言えばそうなのですが、どうあってもこうなります。
苦しくて、苦しくて、昨日も泣きながら走っていました。
そういう時は、いつも、レースが追われば、この罰が終われば、美味しいビールが飲めるから。
と考えるのですが。
私は何の罰を受けているのでしょうか。
ビールくらいいつでも飲めます。
飲みたい時に、冷蔵庫を開いて。
なければスーパーで買って来て。
でも、頭の片隅でこうも思います。
「いつでも、ビールを飲める人間は幸せなのだろうか」
と。
「人間の幸福とは、いつでもビールが飲めることではない。」
と、最近とみに思うのです。
人間が生きるためには、ビールを飲むための理由が必要だと。
今は世界的なマラソンブームで、ここNYでも、東京でも、大会になると何万人もの人間がスタート地点に集まります。
誰もがひとときの苦痛を味わい、苦痛の代償に得られる「生きる理由」をみつけにやって来る。
私はそれは近代人の自我が持つ不幸でもあると思います。
もちろん私もその不幸な人間のひとりです。
不安で、強迫観念にかられて、マラソンなどをしている。
そして、42km走った後の黄金色に輝いたビールを飲んで、
ビールを飲む理由を得て、悦にいっている。
金色の完走メダルを首から下げて、ゴールのセントラルパークからホテルまでの道をひとりでとぼとぼと歩いていると、
歩くニューヨークっ子たちから
「Congratulation!」
といちいち声をかけられます。
人間の勇気を讃える、ガッツを讃える、近代的自我の発露を讃える、そこに少しもためらいもない。
それがアメリカの精神です。
マラソンなど、所詮ブルジョアの趣味です。
きっと暇なのだと思います。
24時間TVのお涙頂戴マラソンなどと、一緒にされたくないので、誰かに聞かれれば、「マゾだからやっている。」と答えるでしょう。
でも、応援されたり、誉められたりすると、やっぱり嬉しいです。
ありがとうございます。
今回、NYCマラソンを走ったことによって、自分の中でいろいろ悩んでいたさまざまなことに区切りがついたように思います。
また、何か新しい目標を決めて、走り出したいと思います。